2023.08.04
文・写真 島綾子
416アーキテクツ
ユニテ・ダビタシオンとの出会い
ル・コルビュジエが設計を手がけた「ユニテ・ダビタシオン」は、四角くカラフルな外観に、「ユニット(コルビュジエが考案した必要最低限の住居規格サイズ)」が大型客船の客室のように詰め込まれた集合住宅。フランス・マルセイユのものが代表的で、フランス4か所、ドイツ1か所の合計5カ所にある。
わたしが学生時代に訪れたベルリンのユニテ。そこで出会った、満足そうに暮らす住民の姿。私もそんな風に人に自慢できるような住宅に住みたい、そこに住む人が見せたくなるような住宅をいつか設計したいと感じた。
さらに、竣工してから60年もの時間が経過した建物が今なお人を惹きつける理由を知りたいという思いが強くなり、ベルリンはじめ、マルセイユやフェルミニのユニテについてもどのように住み継がれているかをリサーチした。
※ベルリン・マルセイユ・フェルミニのユニテ・ダビタシオンについて4回に分けて連載します。
受け入れられなかったモデュロール寸法
ベルリンのユニテ・ダビタシオン。残念ながらマルセイユのユニテのように、コルビュジエの提唱したモデュロール、ブリーズソレイユ(※次回のマルセイユ編で紹介)や屋上庭園は実現しなかった。特にモデュロール(人体の寸法を基に、美しさと使いやすさを考慮して規格化したもの)による天井高2260mm・間口3800mmの住居は狭すぎると、ドイツ人の体格に合わせて一回りほど大きいサイズに見直された。
結果ベルリンのユニテは、コルビュジエの目指すものから程遠いものとなってしまった。コルビュジエによる書籍にも『強硬な働きかけ、抗議にもかかわらず、ベルリンのユニテ・ダビタシオンの計画は尊重されるものではなくなってしまった』(ちくま学芸文庫・マルセイユのユニテダビタシオン)という怒りを露わにした一文が記載されている。
多くの制約・要望の中で彼は戦いながらこの建物を作り上げたのだろう。パリにあるアーカイブではコルビュジエについて残る、あらゆる資料を見ることができる。設計当初はブリーズソレイユも屋上庭園もしっかり計画されていたが、それらを取り除かれてしまった無念さを想像すると、同じ設計を生業にするものとして親近感を覚える(雲の上の人ではあるけれど)。
一方で、住民にインタビューをしていくと、彼らは満足した生活を送っていた。管理組合を作り、housetecnicと呼ばれるメンテナンス部隊もある。その甲斐あって、ほかのユニテに比べて美しい状態が保たれていた(他のユニテは特に共用部の荒廃がひどいところもある)。
完成した住宅に対する建築家の満足度と住民の満足度は同じとは限らない。さらに竣工後の住宅の明暗を分けるのは、住民の努力によるところが大きいと実感した。
オリジナルに近い部屋を借りる
ベルリンのユニテを初めて訪れてから約8年後、ベルリンに短期的に住むことが叶ったわたしは、ユニテに部屋を借りると決めた。いくつか候補の部屋を見学し、一番オリジナルに近い状態を保っていた部屋にした。キッチンは改修されているが、レイアウトはオリジナルデザインを継承している。
この部屋は8階に当たるのだが、森のむこうにベルリン中心街が見え、ユニテの連想窓のフレームに切り取られた風景は季節の移ろいとともに変化する。他の住民からのおすすめで天気のいい朝はバルコニーで朝食を食べた。
調査させてもらった部屋 ①セルフ・リノベーション
現役時に建築関係の仕事をしていた85歳の人(取材当時)の部屋を見せてもらった。冬はユニテ、夏は別荘で野菜などを栽培しながら生活している(ドイツ人が2拠点で生活するのはよくあること)。
彼は自分でデザイン・リノベーションを行い、躯体壁以外の壁はすべて取り払った。階段は鉄骨、手すり部分を残し、踏面は撤去(アスベストが含まれていた)。新しい踏面は本棚としても利用している。
キッチンは独立したアイランド型。独特な形だが使いやすいそうだ。ベッドは造り付けに。シャワー、トイレもリノベーションされていた。
次回、ユニテ・ダビタシオン(2)「調査させてもらった部屋②、住民の共有スペース、コミュニティイベント」に続く