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「 有名建築から学ぶ間取りと暮らし」 バックナンバー

ファンズワース邸 ミース・ファン・デル・ローエ【有名建築から学ぶ間取りと暮らし08】

2023.12.27

【執筆者プロフィール】

文・写真 市川 葉留美
2007年よりシカゴ郊外在住。日本では美容業界、フィットネス業界を経て、ホテル&リゾート運営会社に勤務。月刊誌の監修やイベントプランニングの仕事に14年間携わる。
現在は、シカゴにてヘアスタイリストとして仕事をする傍ら、さまざまなボランティア活動に参加。美しい建物やそこにまつわる物語に興味を持ち、趣味で様々な場所を訪れている。

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近代建築の三大巨匠、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ

ファンズワース邸(アメリカ イリノイ州)は、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの手により、シカゴの腎臓学者で医師のエディス・ファンズワース女史の週末の隠れ家として建てられました。

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと並ぶ近代建築の巨匠と称されていますが、大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、漆喰装飾デザイナーとしてキャリアをスタートしました。

素材と構造を早くから理解し、芸術・デザイン・建築業界でその才能を活かして様々な分野の建築を手掛ける傍ら、家具のデザインも手がけ、キャリアをさらに広げていきます。

アメリカ・イリノイ州シカゴに建つファンズワース邸。この家は、エディス・ファンズワース女史の週末の隠れ家として建築を依頼されました。

アメリカ・イリノイ州シカゴに建つファンズワース邸。この家は、エディス・ファンズワース女史の週末の隠れ家として建築を依頼されました。

空間構想 - ユニバサルスペースー

その後、ナチスを逃れてアメリカに亡命し、シカゴにあるアーマー大学(現 イリノイ工科大学)で教鞭を執る一方、建築家として不動の地位を獲得したミースは、1900年半ばに主流であった、それぞれ決められた役割を果たす部屋を繋げてつくり上げる、ヨーロッパ建築とは大きく異なる家づくりを模索しました。

そして工業用鋼材や板ガラスなどの近代的な素材を用いてオープンスペースを巧みに組み合わせた自由な空間をつくり上げ、何にでもなり得る空間構想ーユニバサルスペースーのコンセプトを確立させました。

それぞれの部屋の仕切りをあえて作らず、何にでもなり得る空間=ユニバーサルスペースという新しい概念を取り入れた家。それまで住宅では使われることがなかった工業用鋼材や板ガラス等が採用されています。このリビングの向こう側がキッチン

それぞれの部屋の仕切りをあえて作らず、何にでもなり得る空間=ユニバーサルスペースという新しい概念を取り入れた家。それまで住宅では使われることがなかった工業用鋼材や板ガラス等が採用されています。このリビングの向こう側がキッチン

近代的な素材を使いユニバーサルスペースを取り入れて建築されたファンズワース邸は、彼の最後の住宅にして傑作といわれていますが、そのコンセプトはその後につくられたミースの高層建築にも反映されています。

ファンズワース邸の構造と素材

ファンズワース邸は、屋根と床のフレームワークを支えるために8本のL字型の鉄柱と、H型綱、ガラスを使用し、それらを支えるスチールフレームのアタッチメントは、滑らかに研磨・溶接してから白く塗装され、工業用資材とは思われぬ洗練された美しさを際立たせています。

また、隣接する川の増水による浸水を避けるために、地上から1.5メートル程上げた高床式建築は、住宅としての電気、水道、ガスなどのインフラを建物の中心に集めたことにより、床下までもすっきりさせ、まるで空間に浮き上がっているかのような景観をつくりだしています。

建物の内部に集められたインフラの配管。

建物の内部に集められたインフラの配管。

建材の細部まで美しさが追求されています。

建材の細部まで美しさが追求されています。

ミニマムなラインとシンプルな居住空間は、細い窓枠に支えられたガラスを大胆に多用し、トラバーチン(大理石の一種)の階段と大きなテラスで構成されたアプローチへ続いています。

ミニマムなラインとシンプルな居住空間は、細い窓枠に支えられたガラスを大胆に多用し、トラバーチン(大理石の一種)の階段と大きなテラスで構成されたアプローチへ続いています。

ファンズワース邸の室内へ

ガラスドアを抜け室内に入ると、当時に開発されたばかりの温水式床暖房や空調システムで室内は快適に保たれ(現在はエアコンディショニングを設置)、右手にあるキッチンカウンターはシンクも含めて一枚仕立てのステンレス仕上げとなっており、当時の最新設備が取り入れられています。

間取りは極めて無駄がなく、水回りがあるコア(建物中心部)をプリマベラとチーク材を使った収納スペースで取り巻き、それ以外はすべてオープンスペースとなっています。

眺めが美しいリビングルームの奥にはプライベートスペースが設けられ、さらに回り込むとキッチン、そしてエントランスまで回遊できるシンプルなつくりがこの家の特徴と言えますが、この家の洗練された外観・内部の作りは、彼が好んで使っていた

“Less is more.”(少ない方が豊かである)
“Good is in the detail.”(神は細部に宿る)

という言葉にすべてが表現されているかのようです。

このリビングの反対側がキッチン

このリビングの反対側がキッチン

ミースは自然の木もデザインと実用性の点から取り入れたといいます。水辺を望むリビングルームの正面には、当時100歳を優に超える大きなメイプルツリーがそそり立ち、その枝を屋根の上まで大きく伸ばして、家の中に差し込む光をコントロールしていたといいます(現在メイプルツリーは無くなっています)。

ミースは自然の木もデザインと実用性の点から取り入れたといいます。水辺を望むリビングルームの正面には、当時100歳を優に超える大きなメイプルツリーがそそり立ち、その枝を屋根の上まで大きく伸ばして、家の中に差し込む光をコントロールしていたといいます(現在メイプルツリーは無くなっています)。

ベッドが置かれた横の扉を開けると洗面室があります。

ベッドが置かれた横の扉を開けると洗面室があります。

ミースが取り入れたユニバーサルスペースは、360度どこからも素晴しい眺望を味わうことができます。

ミースが取り入れたユニバーサルスペースは、360度どこからも素晴しい眺望を味わうことができます。

ファンズワースの思い

依頼主であるエディス・ファンズワースは、ある小さなディナーパーティーでミースと出会いました。恵まれた環境で育ち、音楽と科学の才能に恵まれた彼女は当時、シカゴでも指折りの医師として活躍していました。

独身の彼女は、週末の隠れ家として一人でリラックスするための家を欲しており、この出会いがきっかけとなり、ファンズワース邸建築計画がスタートします。この時、ファンズワース46歳、ミース59歳。

設計された家は数年の時を経て1951年に完成し、彼女の所有となりましたが、度重なる建築費用増大とミースの抽象的なミニマリズムに失望して、ミースとの法定闘争にまで発展しました。

裁判で敗訴したファンズワーは、晩年書かれた回顧録の中で、この透明な構造物に住むことがいかに難しいことだったかを明らかにしています。しかし、多才な彼女はこの家で、20年近くバイオリンを演奏し、時には詩人として、翻訳家として暮らしたといいます。これは最終的にはモダニズムの傑作と見なされているこの家と共存し、平和と幸福を見つけたことを示唆しています。

建物を取り巻く土地は広大で、目の前のたおやかに流れる美しいフォックスリバーを眺められる安らかな空間は彼女にとって癒される空間だったのではないでしょうか。居心地の良いリビングルームに佇み、ファンズワースの生活に思いを馳せると、四季の自然、色彩が織りなす美しい空間での暮らしが容易に想像できる気がします。

シンプルな構造と美しい景観がゆえに多くの建築好きを魅了するだけでなく、様々な人間模様を織りなす物語が、70年を経過した今も語り継がれて、ファンズワース邸に命を吹き込んでいます。

【ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)】
1886年3月27日 ー 1968年8月7日。20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。

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