堂 剛(どう つよし)
東京生まれ。イタリア・フィレンツェ在住。2004年にイタリア中部小都市オルヴィエートに移住、その後フィレンツェに移る。
webデザイン、ライター、翻訳、コーディネーター等の仕事に従事しながら、イタリアのレストランやホテル、生活の情報を日本へ伝えるウェブサイトを運営。
イタリア情報サイト「アーモイタリア」
自ら足を運んで取材したレポートがたくさん掲載されています。
http://www.amoitalia.com/
イタリア生活日記
http://blog.belgiappone.com/
今回はちょっとミステリアスな、450年前に造られた秘密の回廊を紹介します。
長さ1キロに及ぶこの「ヴァザーリの回廊」は当時フィレンツェを支配していたメディチ家によって、住居とオフィスを人目につかずに移動する目的で作られました。
地下トンネルではありません。住居の2階から建物の屋根の上を通り、橋を渡って、最終的には仕事場にたどり着きます。
一般の目に触れないことから「秘密の通路」とささやかれ、長らく一般公開されてきませんでした。現在はその長い回廊が丸ごと美術館となり、予約をして見学可能です。さっそくその不思議な抜け道のストーリーを紹介しましょう。
ときは1565年、メディチ家がフィレンツェを統治するなか、わずか18才の若さでフィレンツェ公を継ぐこととなったコジモ一世の時代にさかのぼります。
メディチ家の名前は誰もが耳にしたことあるでしょう。中世の時代に銀行業の成功によって巨大な財力と権力を手に入れた一族は、長年フィレンツェの実質的な支配者として君臨してきました。
彼らは芸術にも多大な影響を及ぼし、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど多くの芸術家をパトロンして支援もしました。このフィレンツェでルネッサンスが開花したのはメディチ家の功績といえるでしょう。
現在、世界遺産に登録されているフィレンツェの町並みもこの頃に出来上がりました。メディチ家の血を引くコジモ一世は都市改造を行い、ウフィツィ美術館を始め美しいフィレンツェの建造物と景観を作り上げたのです。
そのコジモ一世の命により、当時住んでいたピッティ宮殿とヴェッキオ宮殿を結ぶ回廊が建設されたのは1565年のこと。
川向うの住居から仕事場である政庁舎までは徒歩10分、わずか1キロに満たない距離ですが、当時の彼らは民衆の反乱を恐れていたのでしょう、人目にいっさい触れない直結型の通路を建築家ヴァザーリに造らせました。それがヴァザーリの回廊です。
現在この回廊は美術館として一般者にも公開されるようになりました。焦る気持ちを抑えながら、長く閉ざされてきた扉からそっと足を踏み入れてみましょう。
まず驚くのが先が見えないほどの長い廊下、そして両側には700点もの絵画がずらりと並んでいます。
これらの絵画は当時から少しずつ集められてきた肖像画のコレクション。普段あまり目にすることがない画家や彫刻家の顔が通路全体に続いています。1キロもの道が顔、顔、顔で埋まっています。夜は絶対に歩きたくないですね。
回廊はアルノ川にかかる最古の橋、ヴェッキオ橋の上も通過します。橋の上に並ぶ貴金属店のさらに上を誰にも邪魔されずに歩くことができるのです。
まさに町を支配した者の権力の証、なんとも気分が良いものです。鉄格子のはまった小窓からは橋の上の様子が手に取るように分かります。メディチ家の人たちもここから庶民の生活を眺めていたことでしょう。
そして回廊の中程に来ると、なんと教会の2階に踊り出ました。これもヴァザーリが考えた秘密の一つ。庶民の目に触れずにミサに参加できるよう礼拝堂と回廊をつなげたのです。
もう金持ちの発想には驚かせられるばかり。イタリアの歴史と建築、そして治世者の暮らしぶりが垣間見ることができる貴重な体験ができました。
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