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1)先ずは確認できた部屋。院長室・食堂、寝室、 勉強部屋を兼ねたテレビのある部屋と洗面所。 |
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2)あるはずの部屋。 「ルリコまだやすまなかったのかい?」と聞くシーンから 若月先生とその妹、ルリ子の寝室。 |
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3)あるはずの設備。トイレとお風呂は当然あってもいいよね。 |
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4)あ、テレビのある部屋に流しがあることを確認。 台所も兼ねていたか。 |
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5)玄関には式台。昔の学校の昇降口みたい。 その玄関から左右に走る廊下と院長室に向かう廊下。 |
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6)院長室のある西側に玄関とは別に 庭に出るドアを発見。 院長室の西側窓の先は廊下と考えれば良さそうだ。 |
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7)昔、院長室から当時の院長先生の妻を お母さんと慕う伊達直人がその写真を 盗んで走った先に子供達の部屋の入り口があると推測。 その廊下は南に折り返している。 |
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8)院長室には入り口と別にドア。 恐らく寝室へとつながっている。 |
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9)院長室の家具位置は、 シーンによって違うけれども 若月先生時代の配置を参考に。 |
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10)庭には池。外観は古びているけれども結構お洒落かも。 |
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親や世話してくれる者のない子供を収容し、養護するための施設を孤児院と呼んでいた。この歴史は、聖徳太子の作った悲田院(ひでんいん)藤原仲麻呂の乱後、育児院で保護した和気清麻呂の姉である広虫(ひろむし)。 江戸時代には養育館、遊児厰(ゆうじしょう)が作られ、明治に入ると東京に福田会育児院、岡山にはじめて、孤児院という名称の岡山孤児院が石井十次によって作られるに至った。 昭和には法の整備もすすめられ、昭和7年1月1日施行の救護法第6条に「本法ニ於テ救護施設ト称スルハ養老院、孤児院其ノ他ノ本法ニ依ル救護ヲ目的トスル施設ヲ言フ」と法令で定められた。 その後、救護法は昭和21年10月1日に失効し、同様の施設について、昭和23年1月1日施行の児童福祉法によって「養護施設」、平成10年4月1日施行の改正によって「児童養護施設」と改称されている。 |
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第二次世界大戦後は、戦災孤児などを救うため、このような施設が作られた。 このちびっ子ハウスは、運営内容からあくまで民間の施設と思われる。 建物については、伊達直人の幼少時代は昭和20年代の戦後まもなくと思われ、建物の外観からも新築とは考えにくい。 特殊な間取りなので、他の施設を転用した可能性がありはしないだろうか? 院長室・子供達の寝る部屋・テレビのある食堂と台所などの規模や腰壁やドアの意匠は割と豪華。 収納が全くないのも特徴。それと、面前の道路が推定16mの幅。舗装はされていないけれども物流拠点には最適だ。 |
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そこで推理してみるとこの建物は、旧日本軍の施設をなんらかの形で払い下げしてもらったのではないだろうか? 院長室は司令官室。テレビのある部屋が、兵士の宿舎と置き換えるとそう見えてくる。 調べてみると北海道にある旧陸軍糧秣本厰本部と外観が似ている。 |
玄関から東西に走る廊下。 |
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もともと転用された施設という推理だから、 今回の依頼にもあったように、 あれ?封筒の中にもう一枚紙切れが・・・。 |
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って私の名前は虎ですが・・・。 |
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